DEVGRU (DEVelopment GRoUp)
一般的にDEVGRU(デブグル)またはSEAL Team Sixと呼ばれるアメリカ海軍の特殊部隊(NSWDG)は、統合特殊作戦コマンド(JSOC)の部隊として時にはタスクフォースブルーと呼ばれることもあります。その活動の詳細はホワイトハウスや国防総省などからも発表されることはありません。ちなみに正式名称はDEVGRUですが、SEAL Team Sixという呼称は今も広く使われています。初めて設立されたときに、6番目の部隊として敵に宣伝した名残からで、当初は6番目に出来たチームというのは虚偽でした。敵に多くの部隊がいるように見せかけるために6番目の部隊と自称したことから今もその呼称は残っています。
デブグルは陸軍のデルタフォースと並び、最も危険で複雑な任務を遂行することを任された特殊部隊と言えます。彼らは主に海上テロ対策部隊として作られましたが、人質救出や特殊偵察、軍事行動、警備、およびその他の特殊任務を遂行できる万能の部隊と言えるでしょう。
設立まで
デブグルの設立構想は1979年のイラン大使館人質事件(イーグルクロー作戦)の失敗に起因しています。イランでのこの事件をきっかけにNAVY SEALsにも対テロに特化した専門部隊の必要性が認識され、その構想と設立を当時アメリカ統合参謀本部に勤めていたリチャード・マルシンコに任せられることになりました。
マルシンコはデブグルの最初の指揮官で、設立当時はSEALs内にはSEAL Team ONEとSEAL Team TWOの2つのチームしか存在しませんでした。前述の通り、彼は当時の敵性国家であるソビエトに実際のチーム数よりも多く存在するとかく乱させるために、設立されたチームにSEAL Team SIXと名付けました。
創設メンバーにはSEALs内からマルシンコによって厳選され、1980年11月に正式に任命されました。その後、過酷かつ先進的トレーニングプログラムが6カ月後の任務に備え実地されアメリカ陸軍の特殊部隊デルタフォースに比較される、アメリカ海軍最高の対テロ部隊となったのです。マルシンコは1980年から1983年7月までの3年間、SEAL Team SIXの指揮を執ることになります。75人の精鋭から始まったSEAL Team SIX。彼らの年間に消費する訓練用の弾薬の量は全アメリカ海兵隊が使用する量よりも多かったのは有名な話です。後にSEAL Team SIXのメンバーからさらに選出された隊員によって、Red Cell(OP-06Dとして知られる)と呼ばれるアメリカの軍事施設の安全性をテストする特別なチームも結成されました。
1987年、SEAL Team SIXは解散。その後継として海軍特殊戦開発グループとして知られるDEVGRU(デブグル)が設立されたのです。
採用選考とトレーニング
申請者は通常東海岸と西海岸に展開するSEALsの隊員より受け付けられます。DEVGRUの最低限の申請条件には一般に知られているものでいくつかの要項があります。
・男性である
・21歳以上かつ、SEAL輸送潜水艇部隊(SDVチーム)、特殊戦戦闘艇乗員、爆発物処理部隊、および東海岸、西海岸のSEALsに所属しているもの。
・少なくとも実践戦闘経験を2回以上経験しているもの。(戦闘経験の条件により、候補者が30代前半になることは珍しくありません)
その他にも必要に応じて現地の人間とコミュニケーションをとるための語学力は不可欠であること事や、民間人に溶け込むための隠密スキルの高さも要求されます。
最低限の要項を満たしているものでも、肉体的な条件を満たしているかを判断するSEAL体力審査テスト(PST)を含む3日間の身体的、また心理的なテストに合格する必要があります。この試験をパスした候補者はその後、適性があるかを確認するために審査委員会によって面接が行われます。この選考に合格した者は6~8カ月のオペレータートレーニングコースに参加し、「グリーンチーム」として知られる部隊の訓練施設にてさらに選別が始まります。もともと屈強な候補者でも最初の選別で約50%が脱落するといわれ、すべての候補者は注意深くDEVGRUの教官たちに部隊の一員になれるかをチェックされます。2011年の元SEAL Team SIXのメンバーであったハワード・E・ワズディンの証言によれば、16人がDEVGRUの試験を受けて、最終的に残ったのは2人だけだったと言います。試験で落ちたものは元の部隊に戻りますが、将来、再度受験することは可能です。
全ての特殊部隊に言えることですが、その訓練は重症や死亡が発生するリスクが高いものです。過去にもDEVGRUではパラシュート降下訓練や戦闘訓練中に過去にも数名の隊員を失う事がありました。DEVGRUの候補者に対する訓練は、候補者がすでに過酷なトレーニングを経験してきている為、精神的能力のテストに重きが置かれています。
候補者は民間、または軍の指導者によって様々な高度なトレーニングを受講します。その一部には下記の技術が含まれます。
・フリークライミング
・陸上戦
・高度な非武装戦闘技術
・防御的、または攻撃的な局面での運転技術
・ダイビング
・コミュニケーション能力
・サバイバル能力
・回避や抵抗、逃走(SERE)の為のトレーニング
・車、ドアの解錠技術や安全の確保
上記の選考項目を教官たちの元、全てトップレベルで行う必要があります。兵士として必要なほぼすべての能力を保持することで初めてDEVGRUの一員になれるのです。そんな彼らだからこそ、隊員はほぼすべての軍事訓練に参加し、要件に応じてさらに専門的なトレーニングを受けることが可能なのです。
また、候補者の選出時にはデルタフォースと同様に長距離、近距離での戦闘訓練にて実弾を使用した射撃訓練も行われています。訓練中の人質役などは候補者が役割を担うなど、信頼関係を築く為の特殊な訓練が実地されています。
部隊の構成
DEVGRUの戦隊はそのラインの色によって分けられています。
Red Squadron (アサルト)
Gold Squadron (アサルト)
Blue Squadron (アサルト)
Silver Squadron (アサルト)
Black Squadron (戦略、偵察、および監視)
Gray Squadron (運搬輸送、ダイバー)
Green Squadron (研修戦隊)
各アサルト戦隊はしばしば襲撃者と呼ばれ、通常は指揮官(O-5)によって率いられる3つの部隊から構成されています。これらの部隊は中尉以上の上級指揮官(O-4)によって指揮されます。部隊長は指揮官の顧問を務め、部隊の最高位であるMaster Chief Petty Officer(E-9)、最先任上級兵曹長(通称マスターチーフ)と呼ばれる下士官としては最上位を意味するE-9級の階級の者が務めます。
各戦隊には固有のニックネームが存在します。例としては以下のように呼ばれています。
RED Squadron (インディアン)
Gold Squadron (騎士団)
Blue Squadron (パイレーツ)
Gray Squadron (バイキング)
アサルト戦隊は暗号学者、コミュニケーター、EOD技術者、軍用犬を運用する兵士、第24アメリカ空軍特殊作戦部隊(USAF)および、空軍統合特殊作戦コマンドを含む様々な支援要員によって支援されています。
身なりについて
国防総省はDEVGRUに関する情報を厳重に管理し、機密性の高い情報や勝度については公にコメントすることを拒否しています。DEVGRUは非常に高い柔軟性と自立性を認められており、その情報を隠すためにも、先頭配備や特別な訓練以外は民間服を好んで着用します。戦闘服を着ているときの彼らは、名前や部隊を隠し、軍人として認識されることを極力さけるように行動しています。
歴代の指揮官(明らかになっている人物)
- 1994 to 1997 エリック・T・オルソン
- 1997 to 1999 アルバート・M・キャランド3世
- 1999 to 2003 ジョセフ・D・ケルナン
- 2003 to 2005 エドワード・G・ウィンター3世
- 2005 to 2007 ブライアン・L・ルーシー
- 2007 to 2009 スコット・P・ムーア
実績の一部
テロとの戦争が始まって以来、DEVGRUは世界規模での運用を任された多機能に富んだ特殊作戦部隊に進化してきました。その一部には
・ Jessica Buchanan とPoul Hagen Thistedの救出の成功
・ Linda Norgrove救出作戦を試みる(失敗に終わる。後述)
・医師であるDilip Josephの救出の成功
・1991年のハイチ大統領Jean-Bertrand Aristideとその家族をクーデターから救う
また広く知られている作戦として、他の部隊との協力によってなされてオサマ・ビン・ラディンを殺害した海神の槍作戦(Operation Neptune Spear)があります。お名前.com
批判
Linda Norgrove救出作戦の失敗
アフガニスタンにてタリバンに誘拐されたイギリスの援助活動家であるLinda NorgroveはDEVGRUの救出活動の失敗によって死を遂げることになった。その原因は彼らが投げた手榴弾によるものだった事がのちの調査で明らかになっています。当時、手榴弾を投げたことを上級指揮官に報告しなかった事が問題になり、結果として軍法違反により何人かの隊員が懲戒処分を受けることになった。
Logan Melgarの死
2017年、マリにてLogan Melgar(グリーンベレーの曹長であった)が絞殺にて発見される。彼は当時、マリのアメリカ大使館にて他の特殊部隊のメンバーと接触していた事実が判明していました。
殺害された直後に、二人の無名のDEVGRUの隊員がマリから出国。後に彼らは殺害の疑いで逮捕、起訴されることになります。その内容はお粗末なもので彼ら二人が地元の情報提供者に支払うはずだった現金を盗んだことを知ったMelgarを、露呈を恐れて殺害したというものです。二人は今も否定しています。
米国内の特殊部隊の一つであるDEVGRU。その知名度に対して、一般人はその実態を多く知りません。今後も実態を把握することは難しいでしょう。アメリカでもトップクラスの実力を擁する彼らはアメリカという国が存在する限り永遠の機密として扱われていく事でしょう。