フェルッチョ・ランボルギーニの情熱

ランボルギーニが、

「1963年5月5日にアウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニS.a.s.が設立され、そこからちょうど60年が経過した」

と発表しました。

設立以降、ランボルギーニは様々な企業の手にわたり、現在はフォルクスワーゲングループ傘下に収まっています。

その段階にて社名が、

「アウトモビリ・ランボルギーニS.p.A.」

へと変更されています。

そんな記念すべき、

「60周年」

を迎えたランボルギーニは

「世界で最も設立の動機が明白な自動車メーカー」

だと言われています。

その理由が面白く、

「エンツォ・フェラーリへ(フェラーリ創始者)フェラーリの改良提案を持っていったが無下に断られ、そこでフェラーリを超えるスーパーカーを作ろうと決意した」

という逸話に由来しています。

ただし、これには様々な説があるようです。

【ランボルギーニ夫人】
フェルッチョ・ランボルギーニは、エンツォ・フェラーリに抗議していない。

【パオロ・スタンツァーニ(ミウラ、カウンタック設計者)】
そういったストーリーを周知させることで、フェラーリに対抗する熱意ある若者という偶像を作り上げようとした。

【トニーノ・ランボルギーニ(フェルッチョ・ランボルギーニの実子)】
実際にエンツォ・フェラーリに抗議をしに行った。

おそらく、その事実が明らかになることは永遠になさそうではあります。

・フェラーリのエンブレム
・シボレーのボウタイエンブレム
(諸説あります)

の由来などとともに、本当の理由が表に出ることはない、

「自動車業界における永遠のナゾ」

なのかなと考えてみたり。

なお、フェラーリとよく比較されることが多いのがランボルギーニです。

もともとは、

「フェラーリへの対抗」

から生まれたとされるメーカーだけあって、なにかと対象的な部分があります。

フェラーリのエンブレムが「馬」に対してランボルギーニでは「牛」となっています。

フェラーリのバックボーンがモータースポーツなのに対し、ランボルギーニではモータースポーツに参加しないという姿勢を貫いています。

フェラーリ=スパルタンに対して、ランボルギー=快適なGTを押し出したり。

フェルッチョ・ランボルギーニ自身がランボルギーニの名を広めるため、フェラーリを見つけてはバトルを挑んでみたり。

(打ち負かすことで性能を証明していたそうな)

そんなこんなで、フェルッチョ・ランボルギーニ自身がいかに、

「フェラーリと比較されること」

を好んでいたかがわかります。

いずれにせよ、60年前に、

「一人の男の野心によって設立された自動車メーカー」

がここまで成長しています。

また、その過程では、

「スーパーカーを定義付ける」

ウェッジシェイプとシザースドアを持つカウンタックを発売したり。

それ以前には、今では当たり前だか、当時は前例がなかった大排気量ミドシップカーであるミウラをリリースしたり。

「自動車業界の常識を変革し、それをリードしてきた」

ことは間違いないかと思われます。

諸説ありますが、フェラーリが、

・ウェッジシェイプ
・ミドシップ

という「スーパーカーの新定義」を取り入れたのはランボルギーニの影響によるものだとされています。

参考までに、2022年の販売台数は以下の通り。

・フェラーリ:13,221台
・ランボルギーニ:9,233台

まだ差があるものの、ランボルギーニの販売台数がフェラーリに迫っていることは間違いありません。

「3年近く」のバックオーダーを抱えていると述べていることからも、今後この差を大きく詰めることになるものと思われます。

※注
フェラーリは希少性の担保といった理由で販売台数を急激に伸ばすことはできないという事情があります。

台数のみでの比較はフェラーリにとって不公平なのかも。

いずれにせよ、1人の情熱がここまでのものになったというのは面白いですね。

しかもキッカケが、フェラーリを見返したいからというのも面白い。
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【本日の名言】『 武田信玄 / 甲斐の武将 』

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晴信(信玄)の弓矢は欲のためではなく、民百姓を安楽にするためだと民に知らせれば、わしが軍を進めるのを待ち望むようになる。
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